含み損をみると…
朝起きて、コーヒーを一口飲んでから証券口座をチェックする。
すると昨日より株価が下がっていて、含み損が膨らんでいる。
胃がキュッと縮むような感覚とともに、「やっぱり株なんてやるんじゃなかった」という後悔の念が湧き上がってくる。
このような経験をしたことがある人は、きっと多いでしょう。
投資を始めた当初は「お金が増える」という期待に胸を躍らせていたのに、いざ含み損を目の当たりにすると、まるで心臓を鷲掴みにされるような苦痛を感じてしまいます。
実はこの現象、あなたが弱いからでも、投資に向いていないからでもありません。
人間の脳に組み込まれた、進化の過程で身につけた生存戦略の一部なのです。そして、この仕組みを理解することこそが、投資で成功するための第一歩となります。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって提唱された「プロスペクト理論」を通じて、なぜ私たちは含み損に苦しむのか、そしてその苦痛とどう向き合えばよいのかを説明します。
プロスペクト理論とは何か
プロスペクト理論を理解するために、まず簡単な実験を考えてみましょう。
確実性の重視
あなたの目の前に2つの選択肢があります。
- 選択肢A:確実に100万円がもらえる
- 選択肢B:50%の確率で200万円、50%の確率で0円
数学的に考えれば、選択肢Bの期待値は100万円(200万円×0.5+0円×0.5)で、選択肢Aと同じです。しかし、多くの人は選択肢Aを選びます。これは人間が「確実性」を重視する傾向があるからです。
損失の領域ではリスクを取る
次に、別の状況を考えてみましょう。あなたは200万円の借金を抱えています。
- 選択肢C:確実に100万円の借金が残る
- 選択肢D:50%の確率で借金が全額免除、50%の確率で200万円の借金が残る
今度は多くの人が選択肢Dを選びます。同じ期待値なのに、損失の領域では人はリスクを取りたがるのです。
人間は利得と損失を非対称に感じる
この現象こそが、プロスペクト理論の核心です。
人間は利得と損失を非対称に感じ取り、同じ金額でも「失う痛み」は「得る喜び」の約2倍強く感じられることが分かっています。つまり、10万円を失う痛みは、10万円を得る喜びの2倍以上ということです。
この非対称性が、投資において含み損を見た時の精神的ダメージの正体なのです。含み益が出ていても「まあ、良かった」程度にしか感じないのに、同じ金額の含み損が出ると「もうダメだ」と思ってしまうのは、脳の構造上当然の反応だったのです。
参照点という概念
プロスペクト理論には、さらに興味深い特徴があります。
「参照点」という概念です。人間は絶対的な価値ではなく、ある基準点からの変化で物事を判断する傾向があります。投資で言えば、購入価格が参照点となり、そこからの損益で喜怒哀楽が決まります。
この理論が発見される前、経済学では人間は常に合理的に行動すると仮定されていました。しかし、カーネマンとトベルスキーの研究により、人間の判断には系統的な偏りがあることが明らかになったのです。
特に興味深いのは、この偏りが文化や教育レベルに関係なく、すべての人間に共通して見られることです。ハーバード大学のMBA学生も、ウォール街のトレーダーも、一般の投資家も、みな同じような認知バイアスを持っています。
実際の投資場面では、この理論は様々な形で現れます。たとえば、含み損のある株式をなかなか売れない「処分効果」という現象があります。これは損失を確定することで、自分の判断ミスを認めることになるのを避けたい心理と、損失領域でリスクを取りたがる性質が組み合わさった結果です。
逆に、含み益のある株式は早々に売ってしまう傾向もあります。これは利益を確定して安心したい気持ちと、さらなる上昇の可能性よりも確実性を重視する心理の表れです。
プロスペクト理論を理解することで、これらの行動が「人間らしい」反応であることが分かります。そして、その上で合理的な判断を下すための戦略を立てることができるようになるのです。
研究によると、プロの投資家でさえもこれらのバイアスから完全に自由になることはできません。しかし、バイアスの存在を認識し、それに対する対策を講じることで、投資成績を大幅に改善することは可能です。
また、プロスペクト理論は投資以外の分野でも応用されています。マーケティングでは「限定価格」や「今だけ」という表現が効果的なのも、損失回避性を利用したものです。医療分野では、治療法の説明方法によって患者の選択が変わることが知られており、これもプロスペクト理論で説明できます。
つまり、この理論は人間の行動を理解するための強力なツールなのです。投資で成功したい人だけでなく、より良い意思決定をしたいすべての人にとって、学ぶ価値のある理論と言えるでしょう。
まとめ
プロスペクト理論は、人間が利得と損失を非対称に感じ取ることを明らかにした理論です。
損失の痛みは利得の喜びの約2倍強く、参照点からの変化で物事を判断する特徴があります。
この理論を理解することで、投資における感情的な反応が人間の自然な心理であることが分かり、より合理的な判断を下すための第一歩となります。

資産運用に興味がある恐竜。様々な国や商品に投資。投資歴は長い。基軸はインデックス投資での運用。短期売買の頻度は少なく、長期目線での投資をコツコツと実施。